福岡県の北東部、筑豊地域の北東端部に位置していて、町域南西端部を除きほとんどが山地となっています。町西部にある牛斬山や町北部の龍ヶ鼻には行楽シーズンの春を中心に一年を通じて一番多くの登山者が来訪します。町域西部にある香春岳は主に石灰岩で形成された山で、五木寛之の小説『青春の門』に登場し有名になりました。 

人口約1万2千人を有す香春町は古い歴史があります。初めて公式文書に登場するのは八世紀に編集された"風土記"であり、その語源は古代朝鮮語にそのルーツを探ることが可能で、古くより朝鮮半島や中国と密接な繋がりがあった土地であることが分かります。

 

 近代では、セメント産業を中心に発展し、昭和31年に3町村が合併し、現在の香春町に至っています。周辺は香春岳をはじめとする山々に囲まれ、数々の史跡や文化遺産にも恵まれており、万葉集には香春を詠んだ短歌が7首あり記念の歌碑も建っています。また、町内には5つの窯元があり、陶芸のまちとしても有名であります。

 

 古くは風土記や万葉集、大宰府管内誌さらには小倉日記や炭坑節、そして青春の門などと歴史、文学、紀行等に多く登場している香春の地は大宰府と奈良を結ぶ"大宰府官道"「田河道」の時代より変わらず、現在も国道201号線と322号線のクロスする交通の要です。

 

 

”香春”の由来

 古代から軍事・交通・外交上の要地としてしられた香春ですが、地名の漢字は複数あります。河原、鹿春、清河原、加波流、賀春、香春、香原などと多様に書き残されています。

それらの語源は、古代においてカパル(急険な)カグポル(金)と言う意味から来たという説もあります。その原典は、万葉集の九巻の歌に「豊国の香春(加波流)は吾宅・・・」や豊前風土記に「田河の郡、鹿春の郷・・・」語源はいずれも『川原』の意味から取ったあて字であって、金辺川(清瀬川)の美しい川原の意味であると書かれています。

和名抄には「田川郡香春郷あり、香春は、加波留又は『カハラ』と訓むべし。』と出ている。

 

中世の頃には、香原の字も見えますが、香春が定着したようです。